就活

公開日: : 最終更新日:2017/10/09 自己紹介

僕の頃は、就職活動スタートが10月だった。
1979年10月1日に就職面接を受けにNEC本社に行った。

「これからはソフトの時代が来る」「コンピュータが世界を変える」
というような事が盛んにいわれていた。
ガルブレイスの「不確実性の時代」が大ベストセラーになった頃だった。

ソフト、とか、コンピュータ、とか文系の僕にはよくわからなかったが、
なんか日本電気っていう会社はいいらしい、というのは聞いていた。
それくらいの動機でNECを受けた。

10月1日田町のNEC本社に行くと、就活の学生はこちら、のような案内が出ていて、
結構な数の学生が並んでいた。

 

 

7,8人ずつ会議室に通された。
会社の人は誰も来ないで、しばらく学生だけの雑談となった。
自然に司会者的な存在ができて、「こいつ、ズルイ」のような感想を持ったのを覚えている。
後でわかったが、この時間もテストの内だったそうだ。

30分くらいして、NECの50歳くらいの人が3人入ってきた。
これも後でわかったが、第一線の事業部長クラス(役員一歩手前)だった。

僕は、すでに出遅れた感、がったが、改めて自己紹介を手短に、とのことで
大学と専攻だけ話して自己紹介タイムは終わりだった。、
僕以外の(6,7人は半分東大、一橋だった)

NECの面接官が、いきなり江川問題について皆さんどう思いますか、と切り出した。
僕はソフトとかコンピュータとかの事を聞かれるのかと思ったていたので、
シメシメ、と思った。

なお、江川問題、あるいは江川事件、はプロ野球ドラフトの規則を拡大解釈して
江川が巨人入団、ドラフトは巨人欠席のまま阪神が江川を指名、
収まりがつかず、結局巨人のエース・小林繁と江川のトレード、という形で落着した。

僕以外の学生は江川の立場に理解を示す発言をしていたが、
僕は阪神の熱烈なファンで、江川には実際腹を立てていて、
僕隊僕以外の学生の討論、のような形になった。

1,2時間だったと思う。
あっという間に終わった感じだった。

 

 

 

その日に電話がかかってきて、
2次面接(人事担当常務)、3次面接(社長と役員)
と通過して内定をもらった。
後でわかったことだが、2次面接で3割くらいが落ちて、最終面接ではほぼ全員合格だったそうだ。
最終面接は入社の意思の確認だった。

最終面接は、本社の最上階のふかふかの絨毯の部屋で、
入ってから、着席するまで、雪の上を歩いているような感じだった。
いまだに、あれだけふかふかの絨毯の上を歩いたことはないと思う。

僕は大学の成績も悪く、最低の成績で卒業したはずだが、
会社は最後まで成績の事には触れなかった。
大学の成績は一切考慮していないと思う。

関連記事

東京オリンピック(1964)当時、東京で阪神ファンの小学生はいじめられた。

東京オリンピック(1964)があった年に、阪神がセリーグ優勝した。 当時国内は、オリンピック一色で

記事を読む

転職

NEC本社の9階に配属になり、並んで待って乗る満員のエレベータが苦痛で、 僕は朝の運動もかねて、階

記事を読む

中学の数学と英語を勉強した思い出

中学2年の時、 兄貴に「これ読んでみ」と湯川秀樹の「旅人―湯川秀樹自伝 」を渡された。 まさ

記事を読む

新入社員

1980年4月1日にNECに入社した。 新入社員250人が、品川の「笹川記念館」に集合して3日間、

記事を読む

転職

NEC本社の9階に配属になり、並んで待って乗る満員のエレベータが苦痛で

「有名人ナビ 出身高校編」のセッション数推移

「有名人ナビ 出身高校編」のセッション数推移。  

「有名人ナビ 出身高校編」のインデックス推移

「有名人ナビ 出身高校編」を2017.3.29に公開。 その後の

中学の数学と英語を勉強した思い出

中学2年の時、 兄貴に「これ読んでみ」と湯川秀樹の「旅人―湯川秀樹自

新入社員

1980年4月1日にNECに入社した。 新入社員250人が、品川の「

→もっと見る

PAGE TOP ↑